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昭和世代🍭

三宅歯科医院の来院患者さんは、比較的年齢層が高いです。

特に午前中は、50歳~90歳前後の

 

昭和時代の方が多く、時間に余裕があるときには、昔話で会話が弾みます。

今の子供さんたちは、遊びとなると「ゲーム」

が主流のようですが、

 

わたしの子供時代は、手に300円~500円を握りしめ、

近所の駄菓子屋さんに行って、

綿あめ、パットライス、ポンカン飴

チュッポチャップス、たばこのチョコレート(たまに紙がチョコにくっついていてはがしにくい)、

ひとすくい何十円かのカラフルスナック菓子

なんかをを公園で食べながら、

めんこ遊びやベー駒、プラスチック製のバットで草野球

河原でメダカやザリガニを捕まえて遊んでいました。

公園に、赤いサルビアの花咲いていると、

プチっと引っ張り、わずかな蜜を吸って、

その甘さを楽しんだりもしました。

 

学校が遠かったせいもあり、女の友達が近所に居なくて、

年上の男の子や兄に混ざって遊んでいたので、

おもちゃの鉄砲(銀の玉を詰めて飛ばす)、

おもちゃの日本刀で遊ぶ事が主流となっていました。

 

わたしのこの、色気もなく、男まさりな気質は、

あの頃に形成されたものではないかな~と思います ^^)

男子の中に年下な女子が一人でしたから、

ちょっぴり過酷なや、何気ない一言結構傷ついたりしました😿

 

 

〇〇君「へ~い!カルビー!お前の事これからカルビーって呼んでやるよ(笑)」

 

わたし「な、なんでわたしがカルビーなの?」

 

〇〇君「お前さあ~、顔がイモっぽくて、ジャガイモみたいやし、それに、いっつも赤いカルビーの袋を持って、嬉しげ~に食べてるやろ~が!」

 

わたし「・・・うっ・・・ひどい( ノД`)シクシク…」

 

あの当時、カルビーポテトチップスは、

数分置きにコマーシャルが流れ、

グリコのおまけ付きキャラメル

キャラメルコーン、カールの宣伝が、これでもか~!

と言うくらいひっきりなしに流れていた時代でした。

 

味の薄く感じたサッポロポテトや、

 

甘すぎるキャラメルコーン

 

かなり濃いバーべキュウ味の網目になったスナックや、

 

口の中の水分を全部持っていかれそうになるカールよりも、

 

当時、カルビーポテトチップスは、

わたしには、最高にイケてるお菓子に感じました。

 

女性の患者さん「わたし、先生サバサバしてて話しやすいから~好き!」

 

わたし「有難うございます。えっ?わたし、サバサバ🐟してます?色気無いですか?」

 

患者さん「そんなもん無い無い!ないからいいんやないの~(笑)」

 

わたし「そうですか~自分では、わずかにまだフェロモン出せてるかな~と思っていましたが、ショック~ホルモンしか出せてないんですね~」

 

患者さん「先生~、ほんなこというところがいいんやし~(笑)」

確かに・・・色気的な要素は何もないなあ~わはは(^^

 

70~80歳の方々には、自分の両親から聞いていた話を話題にしています。

 

 

わたしの父(昭和15年)~母(昭和20年)ですので、ちょうど終戦前から終戦直後の頃です。

 

 

それまでは、給食というものがなかったのが、自分たちの時代から給食制度が出来た・・・・とか・・・・

 

トイレがぽっとん便所(穴が開いているだけの便器)で、臭いし、用を足した時に、お尻を瞬時に持ち上げないと、下からおつりがくる・・・???とか。

 

しらみ除去に、学校で全校生が定期的に、髪の毛に白い粉をふりかけられていた・・・とか。

 

少し私の父親について・・・

 

父はもう亡くなりましたが、寡黙だけど、お酒を飲むと、よく昔の話をたくさんしてくれました。

 

近いところばかり診ているので(歯科医師でした)

休日には外の庭の手入れや草抜きやら盆栽やら、庭が大好きで、

てんしこてんしこ・・・夕方頃、家の外や中で七輪をいこして焼肉(ホルモン)を食べながら、

キリンやアサヒのビール、冷酒を飲むときが一番いい顔をする父親でした。

沢山、聞いたように思いますが、一番記憶に残っていたのは、

自分の父親(わたしの祖父)が体が弱く、入退院をくり返していた時期に、香川県の八栗山に下駄で歩いてよくのぼって祈願した話・・・・

 

 

長男だった父は、中学生の頃、お酒の配達を自転車でしていて(曾祖父は酒屋、祖父は歯医者をしていました)

あの当時はまだ瓶ビールの時代、

黄色い容器に12本を積んでの配達が、

かなりしんどかったこと・・・・子供の頃は、酒屋を継ぎたいと思っていた事などなど・・・。

 

今のわたしでは、とてもしんどくて我慢できないような体験話や苦労話をしてくれました。

 

父は、「お前が嫁に行くときはあんまりなんも期待するなよ。そのかわり、教養を持って行け!・・・

お金や物は盗まれたり失くしたら終わりや!でも、教養や資格は、その人から盗もうと思うても盗めへんやろ?」

 

 

その時は、なんも考えてないわたしでしたが、

 

「確かに~~。お父さんうまいこと言うなあ~~」

 

その当時はあんまり、その事の重要性がわかってなかったけれど、今になってようやく、理解できたよ。

 

同じ職業に就いて・・・そして、自分が経営者になって、それがどんなに大変なことだったかを知りました。

おとうさん・・・ありがとう(^_-)-☆

 

 

 

 

 

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